都内の築40年2世帯住宅でオットと2人暮らし、日常キリトリ漫画を描いてます。
今回は実父が旅立った話をします。
重い内容なので、元気のある時にでも読んでもらえたら嬉しいです。
多くを語らなかった父
2024年3月に亡くなるまでに、父の体には過去12年の間に5つのがんが発覚しました。
手術した4つのうち、2つははじめ私たち夫婦に内緒で、後で伝えられた時すこしショックだったのを覚えています。
親戚へは亡くなるまで病気について伏せていたので、「ついこの間まで元気だったのに」と皆さん驚いた様子でした。おそらく父も母も、余計な心配を周りにかけたくなかったのでしょう。
そして、病院の看護師さんや介護のスタッフの方は、闘病中父の痛がっている様子をほとんど見なかったそうです。
「痛みやツラさの表出は人により違いますが、もしかしたらお父さんは表に出にくい人かも知れませんね」と教えてくれました。
冗談や軽口のほかは、父からあまり聞くことはなかったように思います。
短かった4ヶ月
最後のがん手術から亡くなるまでは非常に短いもので、約4ヶ月でした。
2024年11月の診断時には、患部のほか腹膜や他の臓器やリンパなど色々な場所に転移してしまっている状況。
あまりの進行スピードに不思議に思って父に聞いてみると、最初のがんになってから検診を受けていなかったそうです。
「もういいかな、て思って」
どうやら本人は、12年前に最初のがんが見つかった時に心が折れてしまったようでした。
てっきり検診を受けていると思っていたので、もっとまめにチェックすれば良かったとかなり後悔しきりです。
患部を取り除く手術をしてもらいましたが、ドクターから「予想以上に大きくなっており、切除できませんでした。」と言う残念なコメントをもらいました。
切除しなければ完治しない部位なことをネットで知っていたので、予後があまり良くないことが分かり胸がしめつけられる思いでした。
それでも、現状生きるための処置を行ないサポートしてくれた病院には感謝しています。
そしてついに、治療がこれ以上できない事が病院から伝えられる日がやってきてしまいました。
自宅で医療介護を受けつつ過ごしたのち病状が変化したら緩和ケアのできる新しい病院へ移ることになり、この病院へ戻ってくることはないと告げられたのです。
周りが気になる
介護スタッフの方たちの協力でベッドや点滴棒などが整えられた自宅に戻る日。
当日は私も手伝いに病院へ向かいました。
介護タクシーで自宅へ戻り喜ぶかと思いきや、車椅子で降りると父が一言「これで近所に知れ渡ってしまうな」。
「自分が車椅子に乗っている姿を周りに見られたくない。」
弱りきった父が周りの目を気にしていたのが、私には衝撃でした。
振り返ると義理の父が亡くなった時も、義理父より年上だった父は「俺が先に死ぬと周りは思ってたかもしれないな」と冗談ながら口にしていました。
今考えれば、父は常に周りの目を気にしながら暮らしていたのかも知れません。
そんな「気にしい」で「強がり」な父のことを母は入院中ほぼ毎日見舞い、優しい人と結婚して父は幸せだったなあとつくづく感じました。
意識がもうろうとする父を見舞った時も、葬儀でさいごのお別れの時も、何も言わず父の指の先をちょっとだけ握る母。
父との別れはさびしかったですが、父と母の「物事に対する考え方」などを、短い闘病期間を通じて知ることができ、これからの私の生きるチカラになったような気がしました。